個人的なこと
私の病気の話をします。
私は肺がんです。治っていませんが今は安定していて元気です。
2017年秋に職場の検診で見つかりました。
両側の肺にがんが出来て、まだ初期だったので右から先に切除、そのあと左側の予定だったのですが、どうも左側のモノは腫瘍ではなく炎症だという可能性が高くなり、様子見になっていました。
CTは良く見えるのですが、絶対ではないのですね。
結局左側もがんということで手術しました。
そのときすでにがんは転移を始めていたのだと思います。
あの段階で手術はできなかったとドクターは言っていました。私は安心しきっていました。あの時、、、まあ仕方なかったと思います。結果的にがんに翻弄されました。
左側肺を手術したあと、具合の悪さが戻らなく、結局脳と十二指腸と扁桃に転移していました。
その時から私は「全身性」の肺がんということになりました。
ショックは最初の告知ときと同じくらい大変大きいものでしたが、この不可逆な出来事を認めざるを得ず化学療法へ移行していきます。
すべてのがんに使えるわけではない「免疫チェックポイント阻害剤」である「キイトルーダ」を始めます。
新しい薬です。
人により色々副反応があります。私は副腎をやられ、酷い倦怠感や下痢、皮膚障害などを食らっていました。
たぶんですが、副腎とは副腎皮質ホルモンを生成して出す役割があり、それは身体が疲れたとかそういうダメージを受けたときにドバっとホルモンを出して対応してくれます。
それが利かなくなったので、経口によりステロイドを服用しているのです。
高齢の父と2人暮らしで独身の私は、とにかく食べないと生きられないので、食欲がなく激しい倦怠感の中這うようにして近くのコンビニへ行き、ソバとかサンドイッチとか、塩オニギリとかジェル状の吸うヤツ?とか買ってきてやっと生きていました。
あとは処方された、極甘の栄養ドリンクを無理矢理…その中でも黒糖味が好きでよくチョイスしました。
その治療を1年、薬は効く最高のところまで効いている上、身体にダメージもあったので一旦止めることになりました。
それでも体調は良いまま、がんは小さくなったまま、その後3年半経ったのが現在ということです。その間ヤクはやっていません。
しんどかった2018〜2019年、あのころは父親が要介護認定を受け、デイサービスへ通い始めました。
父の弟がその数年前に亡くなっており、その相続がまだだったのでやりました。
伯父さん叔母さんたち皆さん高齢でして、私の父もそういうことやるのが難しくなってきたので、具合の悪い私が代理的に進めてなんとか終わったときはほんとにほっとしました。
金額に文句言う兄弟がいるんですよね。
財産は大きくない叔父さんでしたが、独身で子供なしで遺言なしの場合、相続は難しくなります。
一気に身の上を書いてきまして書く方は良いが読む方はしんどいかと思います。
そんなこんなで私は仕事に復帰できずに止めました。
傷病手当があって、正規分のたしか6割の給料が休んでいる期間に支払われます。
それは最長1年半までと決められています。
かなり助けられました。
仕事をやめて、まあ父親の面倒見るのにちょうど良かったのです。
そんな父親も昨年、享年91歳で物故しました。亡くなってみると、ほんとに最晩年の父は幸せだったろうかと、後悔するばかりです。
父の相続などもつい1ヶ月くらい前にやっと終わり、私は今は未来のことをあまり考えずにクラゲのように生きています。
今生きているのは奇跡かも知れません。
このブログを始めたのは、体調が安定してきて好きだったオーディオ関係を充実させようという気になった頃です。
実際音楽を聴いてると癒されました。
私の復活のきっかけになったのがオーディオだったのです。